この建築家の事を知りませんでした。
ずっと良いなと思っていた建物が、この人が手掛けたものだったんだと、
今やっと解った次第です。
西宮市に長く住んでいたので、上ヶ原の関学・神戸女学院・聖和女子大学の
近くを通っては、こんな設計は誰がするんだろうと、ずっと気にはなってたけど、
当時はインターネットで何でもかんでも調べられる時代じゃないし、
著名な建築家の作品というイメージではなく、地味な感じがしました。
とはいっても、あの何とも言えない品格と優しさ、シンプルで美しい心和む建築。
あんな建築物を設計したり工事に携わったりする日が来るんだろうかと、
建築の勉強をやってた頃の思い出がよみがえってきます。
兵庫ヘリテージマネージャーの研修で、近代建築の講義の中で、
このウィリアム・メレル・ヴォーリズの紹介を聞いて、ちょっと感激しました。
建築の作例もさることながら、ヴォーリズ事務所がいかにしてメンテナンスに携わってきたか、
建てるだけで終わらない建築とのかかわり、その価値観を改めて考えさせられました。
エッセイストの阿川佐知子さんは、母校の東洋女学院の建替えを機にヴォーリズの功績を知り、
全国のヴォーリズ建築物の保存活動をされています。
「優しく懐かしく、自らの主張を滅し、そこに住む人間の気持ちを何よりも大事に考えた
心ある建築家の信念が、建物の隅々まで浸透している。」
とコメントされていますが、まさにその通りだと思います。
自分もそういう感覚に少しでも近づけたらと思いますが、反省の方が多いですかね。
長くなるので、最後に講義で紹介されたヴォーリズの言葉を紹介します。
「住宅なるものは、その元来の目的は、住居するためのものなりとの見解を持つべきである。
同じ解釈により、つぎのことが云える。即ち、学校とは教育的計画を収容する特別の機関であり、
病院は、病人を治療するために、病人の自然的恢復力と共働せんとする機械であり、
商店建築は、商取引の能率のあがる中心的建物である。
それ故に此れ等の各種の建築物は、建築技師の自分勝手な好奇心や、空想を以って、形造る枠組み、
又は、自家宣伝用の広告塔、更らに、街頭の通行人を驚嘆させるための博物館向の作品のように心得て、
建築設計に当ることは、将来在る建築技師の欲せざるところである。
建築物の品格は、人間の人格の如く、その外装よりも寧ろ内容にある。・・・」
[ヴォーリズ建築事務所作品集 序文より]
ラベル:建築について
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